2014年6月23日月曜日

脱原発と経済成長 【見るもの×思うもの=見えるもの②】

脱原発と経済成長というところ。

脱原発運動にロジックが足りてないという点には同意。
これは前にストーリーの話をしたけれど、それと同じことね。

リベラルも同じこと指摘されてるけど、客観的に見たら推進派のほうがロジカルで、脱原発派のほうが感情的にみえる。

どれだけ自分の主張を政治家に、資本主義者に、農家の人に、子ども達に、それぞれに合った言葉をつかって話せるかってそういうこと。

ただ、経済成長ってほんとにそんなにいるのかなぁ、と私は思う。
原発ありきで続けてきた今の生活を、原発なくしても続けようというのは矛盾だよね。

思い出して欲しいのは、3.11のとき。都内は一斉に節電した。
それが不便だと思った人もいただろうし、そのまま慣れた人もいたと思う。
我が家は季節によってばらつきはあるし、東電の値上げもあったけれど、3.11前と比べるとおおよそ-50%の電力で生活がまわってるのね。

今の生活が前と比べて不便かといわれたら全然そんなことない。
むしろ慣れてしまうと前は何にその電力を使っていたのかわかんないんだ。それだけ無自覚だったってことでもあるんだけど・・。

私は過剰な便利さはいらないと思ってる。経済成長もそんなにしなくていいと思ってるし、つかいはじめれば自然エネルギー分野や、エコ分野、持続可能な生活スタイルというのはどんどん発展していく。

経済成長という点で考えるなら日本をはじめ多くの先進国が行き詰ってるところ、経済成長を重視した結果、幸福度があがったわけじゃないっていうところへつっこんだほうがいいように思う。

持続可能なクリーン・エコ・循環・観光で先進するほうが世界的な今後のニーズにあってるし、後の世代にとっても暮らしやすくて良い、なにより日本の孤立した地理的・文化的な環境というのはそれを牽引するのに最も都合がいい。

いまはグローバリゼーションがほぼ全世界をよくもわるくも網羅しているけれど、これから先、その網目はどんどん広くなっていく。
ネットは誰でも使えるようになるかもしれないけれど、人が増えれば増えるほど、いつでも誰とでもつながれるようになるほど、より近くの人間関係に目がいく。

遠くの出来事はつながれるけれど繋がらない、選択のうえで切り捨てられる。
いまの日本の現状がまさにそれだと思っていて、これから先、とりこぼされるところが増えていくだろうと思う。

だから、そのうえでパイプをうまく利用できる方向にシフトしていかないといけない。そうなると一国のなかでどれだけ食べていけるか、近隣国とどれだけ密な関係を築いてそこで食べていけるかが焦点になる。
原発はそういう意味で旧時代的になるリスクだと思うけどなぁ。