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2015年3月14日土曜日

多様性と寛容。

お久しぶりです、YanoKazuhaです。

もう何から書いていいやら、わからないぐらいに更新を止めてしまってすみませんでした。むしろ始めましてと言ったほうが良いのかもしれません。。


昨年の秩父市議選挙のあと、私が何をしていたかといいますと
集団的自衛権のことや、ガザのこと、辺野古のこと、はじめての絵の展示会のこと、秘密保護法のこと、地元での憲法カフェのこと、街づくりのこと、選挙のことと大変あわただしく過ごしていました。
それから家族を亡くしました。またいつかそれぞれ振り返りたいと思います。

この間に学生の本分である(はずの)中間テストや期末テストがあったのでそれはもう・・・はい。



ところで、この写真は私の住んでいる東京都練馬区の光が丘公園の写真です。

長さが特徴となりつつあるこのブログですが、
今日はブログ再開(たぶん)ひとつめの記事ですので、軽めにいきましょう。

皆さんは、故郷がありますか?


秩父の選挙に関わるなかで、私は「故郷とはなにか」ということをよく考えていました。

私はこれまで引っ越しばかりしていて、その間に国も跨いでるし、あまり人の縁を長く保つ努力をしたこともなく、あまり人を大事にしてきたとは言えないと思います。

ですから、私には故郷と呼べる場所がありません。


故郷を大事にしている友人たちの様子や話、自分が見聞きしたことから想像するしかないのですが、故郷とは、人の縁の連なりと、それが行われる景色(土地の記憶)と、その澱みたいなものだと思います。


もしも私のこれまでの人生の記憶や、人との出会いの全てが地球上としか言えないのではなく、
たった一つの土地に属し、そのうえで行われたのなら、地名はその全てを表すのでしょう。

それはとても疲れるし、逃げられない辛さもあるし、同時にとても愛しいもののように思います。


私は、自分が持っていないもの、経験していないものについてこのように想像します。



そして『共感はできなくとも寛容であれ』という言葉がありますが、

それはきっと小さな地縁のなかでの知恵にも通じるのだろうと理解します。


親と子でも全く異なる価値観を持つこともありますね。

でも、その家族は見知らぬ文化に育つふたりがパートナーになることで生まれます。


人は、とても多様なのでしょう。



自分の知らない事柄や、体験とであった時、私は想像し理解するように努めたいと思っています。

自分のだした結論が、相手と違ったとしても、寛容であれと自分を戒めます。

相手に傷つけられたら、傷ついたことを伝えます。

相手を傷つけないように言葉を選びます。

傷つけてしまったら、謝ります。


この手間を、面倒だなと感じることも、もちろんあります。

けれど、自分自身をふりかえると

「1人の人間ですらこんなに面倒で手間がかかる存在なんだなぁ」と思うのです。

その人間が集まって、会話をする。恋をする、政治をおこなう。


それはもう手間がかかって面倒になるだろう、とも思います。


そういうわけで、お久しぶりの今日はこの辺で。

2014年6月23日月曜日

ソースなしの画像とカリウム40について【見るもの×思うもの=見えるもの③】

今回は各SNSで流れてくるソースなしの画像について調べる。
そしてカリウム40について。




●まず画像からわかる情報をみつけ、ソース(情報元、出典)を特定します。

今回の場合は大変親切で左横にNHKニュース7のロゴがはいっており、
「福島 広野町のコメ 3年ぶり 出荷へ」という見出しがついています。
ですからこの見出しをそのまま検索すれば良いわけです。

その結果、こちらの画像は約10ヶ月前、
2013年9月25日の7時のNHKニュースのものだということがわかりました。
(同日9時台のニュースのログはまだ残ってます「福島 広野町 米」で検索)
http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2013/09/0925.html

このようにtwitterやFacebookなどSNSで画像だけが流れてきた場合、
ソースがのっていない、情報と関係のない画像が使われていないことも多く
まず、いつの・なんの画像かソースを特定することが重要になります。

情報を拡散させたいがために、関係のない目をひくような画像が使われることもありますし、見ている人がソースがないために過去の事件を「今現在おきている事件」と受け取る可能性もありえます。
悪質な例でいえば、画像自体が加工改ざんされている例もありますね。

今回の画像のように画像自体に出典情報がない場合は、画像検索機能を使いましょう。


●次に、この画像では「K-40」が検出0.0Bq(ベクレル)/kgであることを問題としてあげていますので「K-40」とは何か検索、カリウム40であることがわかりました。

●では、カリウム40が検出されないのがなぜ問題なのか?

(参考資料1 原子力資料情報室「カリウム40」で検索)
http://www.cnic.jp/knowledge/2584

こちらのサイトを見るとそもそもカリウム40はカリウム中に0.0117%存在する放射性同位体であり、カリウム1gに放射能強度30.4Bqのカリウム40が含まれていることがわかります。

つまりカリウムが存在しているところには必ずカリウム40も存在するというわけです。

天然に存在する放射能としては内部被曝する線量が大きく、食品中の濃度がかなり高い。
人間の体内にも常に同量存在し(成人で140g)、1日3.3gを摂取してるようです。
影響としては体内に蓄積されるのではなく、腎臓機能が正常であれば一定量以上は排出されていますが、つねに内部被曝をしていることがわかりました。

そして、白米は1kgあたり1.1gのカリウムが含まれカリウム40の放射能強度は33Bqとあります。

ということは、この画像にあるように「K-40」が検出されないということは有り得ないことがわかります。
出荷の段階で白米か玄米かにもよりますが、最低でもこの値が出なければおかしいということです。

●つまり、この画像が問題としてあげているのは
カリウムを多く含む米の放射能測定であれば必ず検出されるはずのカリウム40が0.0Bqになっているので、
他の測定値も間違っているのではないか、あるいは故意に改ざんされているのではないかという点です。

●さきほどの「福島 広野町 米」にK-40を加えて検索すると
このニュースが流れた当初から、カリウム40が検出されていない結果に疑問を持つ人が多くいたことがわかります。

故意の可能性をあげる声や、報道への批判が多いのですが、
そのなかで「放射能測定器の仕様ではないか」という疑問の声もあげられています。

・水道水に含まれる放射能の値を自然に存在するものとして引く仕様の測定器がある
・判定時にsc134,sc137と見間違えないため測定中は値が出るが、判定時には値が0値になる仕様がある
・人体に影響のある数値を基準にして、+の時だけ表示する使用なのではないか
といったものです。

●そこで今度は測定器について検索をかけます。
(参考資料2 同位体研究所「測定器 カリウム40」で検索)
http://www.radio-isotope.jp/Analysis/tech_equipment.html

こちらのサイトを見ると、カリウムに関しては自然界に存在するものであるため、
カリウムを多く含む食品に関しては検出されるものの、測定器の検出感度を落としているものもあることがわかります。
これは、測定値のノイズになりかねないためで測定器によっては最初からセシウムからカリウム40の値を引いた結果を表示する、カリウム40に関してはON/OFF機能がある仕様のものもあるようです。

●ここまでの情報を総合すると
「この画像だけではこの検査結果が間違っている、改ざんされているとは言い切れない」ということです。

さきほどの「原子力資料情報室」には『1gあたりの放射能強度がひくいため必ずしも測定の必要がない』と書いてありましたが
体内に一定以上とりこまれず排出される、内部被曝の線量も一定以上変わらないということは、
そもそもこのカリウム40については測定していない可能性もあるわけです。

また、測定器の仕様でカリウム40については0表示(省略)が可能であり、そもそも検出にあたっての基準値がわからない情報だから、です。


●ちなみに・・・
今回はこの記事を書きたくてわざわざ調べたのですが

Twitterの場合、画像のもとになっているツイートに続いている会話をまず読むことをお勧めします。

たいていの情報がそこにでそろっています。

この画像についても、画像をUPした人に対して
「FNNでは同じニュースに対して検出下限25Bq/kgとしており、米のロットに約9Bq/kgであるため不検出という結果になったと言っている」
というコメントが同日中についています。 https://twitter.com/h_okumura/status/382840909466845185

脱原発と経済成長 【見るもの×思うもの=見えるもの②】

脱原発と経済成長というところ。

脱原発運動にロジックが足りてないという点には同意。
これは前にストーリーの話をしたけれど、それと同じことね。

リベラルも同じこと指摘されてるけど、客観的に見たら推進派のほうがロジカルで、脱原発派のほうが感情的にみえる。

どれだけ自分の主張を政治家に、資本主義者に、農家の人に、子ども達に、それぞれに合った言葉をつかって話せるかってそういうこと。

ただ、経済成長ってほんとにそんなにいるのかなぁ、と私は思う。
原発ありきで続けてきた今の生活を、原発なくしても続けようというのは矛盾だよね。

思い出して欲しいのは、3.11のとき。都内は一斉に節電した。
それが不便だと思った人もいただろうし、そのまま慣れた人もいたと思う。
我が家は季節によってばらつきはあるし、東電の値上げもあったけれど、3.11前と比べるとおおよそ-50%の電力で生活がまわってるのね。

今の生活が前と比べて不便かといわれたら全然そんなことない。
むしろ慣れてしまうと前は何にその電力を使っていたのかわかんないんだ。それだけ無自覚だったってことでもあるんだけど・・。

私は過剰な便利さはいらないと思ってる。経済成長もそんなにしなくていいと思ってるし、つかいはじめれば自然エネルギー分野や、エコ分野、持続可能な生活スタイルというのはどんどん発展していく。

経済成長という点で考えるなら日本をはじめ多くの先進国が行き詰ってるところ、経済成長を重視した結果、幸福度があがったわけじゃないっていうところへつっこんだほうがいいように思う。

持続可能なクリーン・エコ・循環・観光で先進するほうが世界的な今後のニーズにあってるし、後の世代にとっても暮らしやすくて良い、なにより日本の孤立した地理的・文化的な環境というのはそれを牽引するのに最も都合がいい。

いまはグローバリゼーションがほぼ全世界をよくもわるくも網羅しているけれど、これから先、その網目はどんどん広くなっていく。
ネットは誰でも使えるようになるかもしれないけれど、人が増えれば増えるほど、いつでも誰とでもつながれるようになるほど、より近くの人間関係に目がいく。

遠くの出来事はつながれるけれど繋がらない、選択のうえで切り捨てられる。
いまの日本の現状がまさにそれだと思っていて、これから先、とりこぼされるところが増えていくだろうと思う。

だから、そのうえでパイプをうまく利用できる方向にシフトしていかないといけない。そうなると一国のなかでどれだけ食べていけるか、近隣国とどれだけ密な関係を築いてそこで食べていけるかが焦点になる。
原発はそういう意味で旧時代的になるリスクだと思うけどなぁ。

2014.06.16 朝日新聞一面下広告 【見るもの×思うもの=見えるもの①】

【見るもの×思うもの=見えるもの】
2014.06.16 朝日新聞一面下広告。


〔婦人之友7月号〕
・これが基本!一軒の家の持ちもの

→ 一軒の家の持ち物という見出し、日本語に引っ掛かる。一軒の、家の、と繰り返して強調効果をねらったのだろうか。家とは台所、衣類、収納である、としているのが面白い。
自宅をリフォームしたとき何度も建築士の方に「ほんとにいいの?」と確認されたことを思い出す。本棚以外の収納はほぼ必要なし、収納に目隠しになる扉は不要など色々と想定外だったらしい。

・調理用具は1種類1つを基本に。台所まわり898点

→数がおかしい。そこから必要なものを選べという趣旨なのだろうとは思うものの、ナイフ1本あればどうにかなるとサバイバル意識が抜けきらない自分を確認。

・福島で語る 和合亮一/藍原寛子 失ったことば 生まれることば

→Twitterでフォローしている詩人の和合さんの名前に目を止めた。福島という言葉がすでに場所だけではなく、3.11を、そして原発事故を表す言葉になっていることを再認識する。
見出しを考えたのは誰だろう、福島×ネガティヴ×ポジティヴという言葉の構成はよく見るけれど、和合さんなら、失った、とは言わないのではないかと感じた。
ネガティヴ×ポジティヴな言葉は順序によって結論が変わる。

〔BRUTUS 780号〕
・もっと!おいしい酒場。

→東京、大阪、と小見出しが続くのに何故かよしよしと思う。頭のなかに自分の行ったおいしい酒場がいくつか浮かぶ。
おいしい酒場、という言葉に味が良いだけでなく、印象の良い接客や、そこで過ごした楽しい時間の積み重ねが自然においしい、に集約される。
酒場という言葉も良かった。以前、吉田類の酒場放浪記という番組に私の地元の店が出ていたと昔の恋人が嬉しそうに話していたことも思い出す。結局そこへは一緒に行かなかったけれど、楽しい約束が楽しいままに終わった切なさ愛しさも酒場という言葉にはよく似合う。

〔BIRDER 7月号〕
・日本産ハト類完全ガイド

→家の庭に営巣しようとしていた鳩夫婦は卵と共に消えたが、FBのお友だちのお家にひそかに巣をつくっているというポストを見た。
親も半年ごとに戻ってくる上に、子も自分の産まれた場所へ戻る習性があると聞いておののいたのが懐かしい。
夕食時から夜半まで、ツバメや雀はよくて鳩がダメというのは人のエゴではないか、もとあった巣から我が家へやって来たということは巣のあった場所がおそらく人の都合でなくなったのだから、、などと議論する家族は貴重なのかもしれない。

・ホネホネ博物館
→鳥好き、生き物好きは、その見た目や生態だけでなく、骨格や骨にまで愛着や興味がわくものなのか、と。
値段設定と世界遺産×鳥などを扱った内容からして中高年をターゲットにしたものだと思うが、ひょうきんなというか、くだけた見出しに、ターゲットは中高年の男性だなと見当をつける。
女性の鳥好きさん向け雑誌もあるんだろうか?

〔Journalism 6月号〕
・テレビ・ジャーナリズムが危ない/「権力監視がすっぽり抜け落ちたNHK報道」、「『美談』や『感動』にみんなで飛びつく民放」、視聴者はもっと大きな声を上げよう

→無理だろう、と咄嗟に思う。そしてどうやって?
ある一方で左翼と呼ばれ、もう一方では右翼と呼ばれるキャスターの顔が浮かぶ。職業倫理や使命感は、 個人の主義に基づいている。主義を変えるか、主義による主観に従うか、どちらかなのだろう。あるいは上からの指示に委ねるか。
さて、ニュース以外の民放番組を見なくなって久しい、美談や感動に飛び付いているのかと少し呆れる。
ネットコンテンツでも同じことだし、その他の表現にも通じるが、感動や美談というのは最後の商品なのではないか。そもそもそれはコンテンツではないのではないかと思う。
私が優しいだけのものが好きじゃないというせいもある。感動や美談を繰り返し消費することはつまりそのものの価値を低く見積もること。使い捨てることに抵抗感がある。

〔がんサポート7月号〕
・ 鎌田實対談・上田紀行さん/心がワクワクしないと病気は治らない
→ワクワクしないと病気は治らないというあまりにも極端な見出しにぎょっとして、鎌田先生の名前を見て「免疫とかね、あるしね・・笑うと免疫力あがるって論文もあったね、あれは作り笑いでも効果があるらしいし...」と自分で自分に言い訳してるのに気づいて笑った。

〔旅の手帳7月号〕
・青春18きっぷの旅

→SLは一度動いているのをみてみたいなと思いつつ、むしろ惹かれたのは小見出しの「5日間で日本縦断にチャレンジ」というところ。夏か秋か冬かに行ってみようかなと思う。
これまでだったら、日本縦断にあまり魅力は感じなかっただろうと思うのだけど。いまはなんとなく足で地を踏むということは大事なんだなと感じている。
世界一周している友人たち、日本一周をしている友人たち、それぞれに良い旅を願う。