もう何から書いていいやら、わからないぐらいに更新を止めてしまってすみませんでした。むしろ始めましてと言ったほうが良いのかもしれません。。
昨年の秩父市議選挙のあと、私が何をしていたかといいますと
集団的自衛権のことや、ガザのこと、辺野古のこと、はじめての絵の展示会のこと、秘密保護法のこと、地元での憲法カフェのこと、街づくりのこと、選挙のことと大変あわただしく過ごしていました。
それから家族を亡くしました。またいつかそれぞれ振り返りたいと思います。
この間に学生の本分である(はずの)中間テストや期末テストがあったのでそれはもう・・・はい。
ところで、この写真は私の住んでいる東京都練馬区の光が丘公園の写真です。
長さが特徴となりつつあるこのブログですが、
今日はブログ再開(たぶん)ひとつめの記事ですので、軽めにいきましょう。
皆さんは、故郷がありますか?
秩父の選挙に関わるなかで、私は「故郷とはなにか」ということをよく考えていました。
私はこれまで引っ越しばかりしていて、その間に国も跨いでるし、あまり人の縁を長く保つ努力をしたこともなく、あまり人を大事にしてきたとは言えないと思います。
ですから、私には故郷と呼べる場所がありません。
故郷を大事にしている友人たちの様子や話、自分が見聞きしたことから想像するしかないのですが、故郷とは、人の縁の連なりと、それが行われる景色(土地の記憶)と、その澱みたいなものだと思います。
もしも私のこれまでの人生の記憶や、人との出会いの全てが地球上としか言えないのではなく、
たった一つの土地に属し、そのうえで行われたのなら、地名はその全てを表すのでしょう。
それはとても疲れるし、逃げられない辛さもあるし、同時にとても愛しいもののように思います。
私は、自分が持っていないもの、経験していないものについてこのように想像します。
そして『共感はできなくとも寛容であれ』という言葉がありますが、
それはきっと小さな地縁のなかでの知恵にも通じるのだろうと理解します。
親と子でも全く異なる価値観を持つこともありますね。
でも、その家族は見知らぬ文化に育つふたりがパートナーになることで生まれます。
人は、とても多様なのでしょう。
自分の知らない事柄や、体験とであった時、私は想像し理解するように努めたいと思っています。
自分のだした結論が、相手と違ったとしても、寛容であれと自分を戒めます。
相手に傷つけられたら、傷ついたことを伝えます。
相手を傷つけないように言葉を選びます。
傷つけてしまったら、謝ります。
この手間を、面倒だなと感じることも、もちろんあります。
けれど、自分自身をふりかえると
「1人の人間ですらこんなに面倒で手間がかかる存在なんだなぁ」と思うのです。
その人間が集まって、会話をする。恋をする、政治をおこなう。
それはもう手間がかかって面倒になるだろう、とも思います。
そういうわけで、お久しぶりの今日はこの辺で。