ASK&ANSWERS、3つめの質問はこちら
Q: 私は政治の話をする人が苦手です。
なぜなら、政治の話をする人のほとんどは、「自分の言うことが正しい。お前の言うことは間違っている」と言っているからです。
どの立場、どの意見にも、メリットとデメリットがあるはずで、どのような主張を支持するのかは、結局は好き嫌いの問題であると思っています。
なのに、正しいか、正しくないかの話をする人が大半で、そういう話は、自分の主張に近いか遠いかに関わらず、聞いていても面白くありません。
結局、政治動向への関心自体が薄れていきます。
私はどのようにしたら、政治に楽しく参加できるのでしょうか?
ちなみに、20代で、選挙には欠かさず行っています。
A: 質問ありがとう。
・・・まず、私は政治を楽しいと思ったことはありません。
議員に国民が給与を支払うのは
・面倒で手間のかかることを国民の代わりにしてくれている、
・そしてその結果に責任を負う立場になってくれているからだと考えます。
ですから仕事をきちんとしていないと思えば、
反対の声をあげたり、次の選挙では投票しないわけです。
選挙活動を楽しめないなら
自分が応援できる議員の選挙事務所などを手伝ってみたらどうかと提案できますが、
自治体や国単位で住民の生活を左右する政治そのものは楽しくないままでいて欲しい
と思っています。
そのなかで個人が、立法の経緯をたどってそれを楽しむとか、誰と誰が親戚か調べるとか、
各議員のデイベートを比較するとか、各議員の所属している団体について調べるとか、
あるいはそれについて語っている専門家や一般人の議論そのものを楽しむとか、
そういう在り方はいいんじゃないでしょうか。
議員が正しい/正しくない、という主張をするのは、それが民主主義のプロセスだからです。
ですから事前にどういう質問をするのか、どう答えるのか文章を交わしますね。
両者の出した答えやその経緯をみて私たち国民は投票によって
(いまは政策ごとには選べませんので) 「よりマシな」党なり候補者なりを選ぶことができます。
それから、少数者の意見をどう取り入れるかという議論になるわけです。
では、一般人による「正しい/正しくない議論」はというと・・・
私は各個人が自分の意見を持っていることは無関心よりははるかにいいと思っています。
それぞれに出される結論は好みだけでなく、主義信条に基づいているのでしょうし、
あるいは単に無知な場合もあるわけです。
自分の意見をもったところからがスタートで、
議論を重ね、知識を得て、最終的には誰かに投票する。
おおいに議論してくれ、と思います。
ただ、国会だけでなく、TwitterやFacebookを見ていても、
個人攻撃を繰り返して満足したり、あるいは些細な違いを責め立てて排斥したり貶めたり、
そういう下品な行為をする方が目立つのは事実ですね。
議論という行為がつまらないのではなく、その人の行為がつまらないのではないでしょうか。
それにあなたや私が引きずられる必要はありません。
自分と意見が違っても議論ができる場所に行き、そういう人と関わればいいと思います。
そうすればご自身の政治参加はもっと親密な、
もしかすると楽しいものになるのではないでしょうか。
民主主義も、国民主権も、政治参加も、面倒で手間がかかり、
育てていかなければ達成されないものです。