2015年10月17日土曜日

この先の10年、20年をつくっているのが、今。

この先の10年、20年をつくっているのが、今。

だから、この夏はあんなに声をからして雨の国会前にいた。
私にとってはごくごく当たり前のこととして。


小学生の頃、いじめられてた時期があって、それは私が大人に可愛がられて目立つ上に性格が最悪だったからなんだけど、上級生の人に殴られたりとか、ボールをぶつけられたりとかしてたけど、その子は同級生のなかで仲間外れにされていて、私は彼女の捌け口だった。その子を仲間外れにしていた子は私にとても優しかったけれど、親によく殴られていた子でものすごく酷い言葉づかいで相手を攻撃できる子でもあった。

中学生の頃、同級生のなかには援助交際をするグループみたいなものがあって、その理由は「年上の彼氏に処女はうざいって言われたから」で、学校のなかでカバンが燃やされたり、近くの川に自転車とか机や椅子が落とされたりする子がいて。体育祭では当日に狂言自殺をはかるような子がいたし、それをめんどくさそうな顔をしながら一応走り寄る先生たちがいて、本当にバカバカしいと思ってた。
気紛れでホームレスの人への炊き出しの手伝いをしてみたりしたけど、そこにはきちんとしたコミュニティがあって、通い続けるお医者さんがいて、それを心の拠り所にして活動する人がいて、恋人が海外に行くんだって悲しそうに笑ってた。野菜を洗う公園の水は冷たかったし、私は私でいつもと同じようにヒールをはいて化粧をしていたら炊き出しの手伝いをしていたおじさんに「偽善者」だと罵られたりした。

ホームレスの人のなかにも色んな人がいて、まだ中学生の私に向かって「ねーちゃんの方がうまそうだ」と下品な笑いをむけてくるおじさんたちがいて、正月に着物を着ていったら涙ぐみながら喜んでくれるおじさんたちがいて、ずっとペディキュアを欠かさないおばあさんがいて、自分は東大を出たのにと繰り返すおじさんがいて、スーツがまだ脱げないんですと項垂れるおじさんがいた。私を孫のように可愛がってくれたお爺さんは次の冬にはすっかり私のこともわからなくなって、やがて探しても見つからなくなった。

夜の街に出ればきらびやかな格好のお姉さんやお兄さんがいたけれど、どこか楽しそうに抗争と借金の話をしていたし、いつも誰とでもいいから恋愛に夢中になって「運命」か「店のルール」か「お酒」を頼りにしないと生きていけない人をたくさん見た。
だんだん大人になるにつれて、私はどんどん絶望したり、バカみたいに傷ついていたりして、
何でこんな社会なの?って素朴な疑問に誰も答えてくれなかったし、自分でも答えられなかった。

餓死者がでること、ものごいをすること、援助交際をしなければ居場所がない子たちや、暴力を受けながら暮らす子どもたち、自殺未遂をしたことがある20代女性は全体の半数で、戦争をしているのと変わらないくらいの人達が毎年自殺していて、ここ数年は行方不明になる子どもの数がやたら多いし、雑な娯楽にすがらないと日々を過ごせないようなことが「当たり前」になって欲しくない。
正直なところ、私は未だになんで2015年の日本で憲法守れとか、戦争反対とか、そんな当たり前のことを言わなきゃいけないのか、よくわからない。それが当たり前のことなんかじゃなかったっていうそれだけのことなんだけど、いまいちわからない。
本当に当たり前じゃなかったのかな。本当に、当たり前じゃなかったことにしていいのかな。

自分が生きてきた社会をいまいる「大人がつくったこと」を、自分が大人になった時には、忘れてしまったり、見てみぬふりをしたりする。私自身がそうだったように。
この社会のなかで、私は1つの歯車でしかないけれど、それならどんなに強く大きな流れでも、おかしいと思ったらまわらない歯車でいたい。できれば違う動きを勝手にする歯車でいたい。
おかしなことだらけの社会だと思う。でも、それをつくってるのは自分たち。

これ以上の絶望もないけれど、それなら自分が変わることで確実に変わるものがあるはずで。

10年後、20年後に何を残したいか、何を残したくないか、考えてみて欲しい。
微笑みと愛情と寛容さを示し続けること、ごく身近な人を大切にすること、それは違うと指摘すること、きちんと怒ること。手間をかけることを厭わないこと。逃げること。休むこと。逃がすこと。休ませること。声をあげること。
自分がありたい自分でいること。それが少しずつ周りを変えていくし、コミュニティのなかでこんなことおかしいって話をしてもいい人だと思われればそれもいい。
「すみません、降ります」と一言声をかければみんな場所をあけてくれるのに無言で人を押し退けながら降りる電車はきっとすごく苦痛で、まわりがみんな知り合いだったら同じように混んでいてもストレスは半分くらいになるんだと思う。